『新しく生まれ変わる』 1 からの続き
聖書:コリントの信徒への手紙II 5章17節, 3章17,18節
二種類の新しさ
ところで、この聖句で言われる「新しく」という言葉には、あるニュアンスが込められております。新約聖書はギリシア語で書かれておりますが、「新しい」という言葉に当たるギリシア語には大きく 2 つあります。「ネオス」と「カイノス」です。そして、この聖句ではネオスではなくカイノスという言葉が使われております。ネオスは英語で new という言葉に受け継がれていることは、ご想像がおつきになるかと思います。しかし、カイノスのほうは、その発音のままで英語の言葉にはなっていないようです。
では、意味はどうかと言いますと、new という言葉のほうは、たとえば、アナログの古いテレビをデジタル放送用の「新しい」機種に変える、つまり「新品」に取り替えるというような時に、私たちは用いています。では、カイノスという言葉の意味合いをもった、私たちがよく知っている英語はないのかと申しますと、fresh という言葉がそれに近いようです。ですから、この言葉で言い表わすとしますと、使徒パウロはコリント教会の人々に向けて、「誰でもキリストにあるならば、その人はフレッシュに造り変えられる者です。
古いものであっても、見なさい、すべてフレッシュな存在に変わっていくことができるのです」と言っているわけです。
new というのは「古いものから新しい違ったものに取り替える」という意味合いが強いのにたいして、fresh というのは、「同じものであるのに、古い状態から新鮮な、真新しい状態に変えられること」を意味する、というふうに言ってよいのではないでしょうか。
新しいものへの恐怖
さて、私たちの中には、多かれ少なかれ、新しいものに対する恐怖心といいますか、恐怖心とまではいかないとしても、億劫さ、あるいは嫌悪感といったものが潜んでいるようです。古いもの、慣れ親しんできたものを、心地よいとする態度です。ところが、この、古いものに留まるという状態が、それにしがみついて離れられない、というところにまで昂じてゆきますと、多くの弊害が生じてきます。精神医学では、これは「新奇性恐怖症」という病気として確認されています。精神科医の方々はその治療法に苦心されておられるのでしょうが、それを乗り越えさせる根本的な力として、人間は新しく変わることができるし、許されているのだという、宗教が私たちにもたらしてくれる経験があります。そして、キリスト教はとりわけそれを強調する宗教であり、また実際にキリスト教の信仰によってそれを体現した人々が少なくありません。ですから、キリスト教は「新生」の宗教だ、と言うことができるのです。本当に生まれ変わりたいと思う方は、キリスト教に帰依していただきたいと思います。人間は新しく変わることができるのです。
(『新しく生まれ変わる』 3へ続く)