「心の眼で見た言葉」 3からの続き

というわけで、多くの新しい哲学者たちがヴィトゲンシュタイン先生に賛成して、哲学や宗教の言葉を攻撃しました。そのとき彼らが合い言葉にしたのは「検証の原理」(ヴェリフィケーション・プリンシプル)という言葉でした。それは一言で言うと、見る、聞く、臭ぐ、味わう、触るという人間の五官で実在が確かめられないものはあやふやなものであって、そういうものを人は信じてはならない、ということです。

しかし、これはよく考えてみると、いかにも子供っぽい考え方ではないでしょうか。思想としては幼稚なものではないでしょうか。

自分が言ったことに影響を受けたこれらの人々がそういう風にあまり騒ぎ立てるものですから、あとになってヴィトゲンシュタインはすこし反省しました。そ
して、もう一度、宗教や哲学の言葉について考え直してみたのです。そうして、この世の中には多くの「ランゲージ・ゲーム」があるということに気がつきました。彼は言語というものをスポーツのゲームにたとえます。つまり、スポーツのゲームは一定のルールが決められていて、それに従ってプレーが行なわれますが、この世の中で用いられている多くの言語も、その背後に言葉遣いのルールというものがあって、それを守りながら用いられている、ということです。ですから、わかりにくいからと言ってすぐに文句を言うのではなくて、人はたとえば宗教的言語の、あるいは哲学的言語の背後にあるルールを会得することが大切なわけです。このルールを言語の「深層文法」と呼んでもよいかもしれません。ちなみに、ウィズダムはこの後期ヴィトゲンシュタインを高く評価しました。
(「心の眼で見た言葉」 5へ続く)