「しじまの声を聞く ~ 礼拝とは何か」8からの続き

エリヤは、預言者として過去に経験した奇跡的な神の力のデモンストレーションがさらになされることを願っていたのですが、神はそうした奇跡の出来事を起こす傍らで、「私が最も喜び、そして大切だと思っているのは、じつは神の声に聴き従っているエリヤ、あなたなのだ」と、エリヤに伝えようとしておられたのです。

 事実、神は多くの危機的な出来事、厳しい試練の中で、エリヤを守り通されました。神が本当に喜ばれるのは、神に信じ従う人そのものであり、その人を介し
て起こる出来事なのです。その中でたしかに奇跡のような出来事も起こるのです。

 私たちが礼拝で沈黙するのは、私たち自身への神の言葉をじかに聴くことに集中するためです。説教の言葉はなるほど礼拝に集った方々に等しく語られますが、神はその聖書の言葉、説教の言葉を通して、今、この時に、礼拝している者それぞれ一人びとりに必要な命の糧を、人生の指針を、その人にふさわしい仕方で、語って下さっているのです。

 私たちは、礼拝の中で、その神さまの「静かにささやく声」を、「かすかなしじまの声」を、聞き逃さないようにしたいと思います。