西谷幸介牧師
「しじまの声を聞く ~ 礼拝とは何か」7からの続き

 その時、ヤハウェはホレブ山にエリヤを立たせられ、風と地震と火とを起こされます。聖書にはこうしるしてあります。すなわち、「見よ、その時主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった」。そして、先ほどもご紹介した聖句ですが、「火の後に、静かにささやく声が聞こえた」と、聖書は続けます。

 これを私たちはどのように理解すればよいのでしょうか。神はエリヤの前で、カルメル山でバアルの預言者たちを打ち倒すために送られたのと同じような、風や地震や火の奇跡を再現しつつ、なおその中に自分はいない、ということをエリヤに悟らせようとされました。そうして、最後に彼に示されたのが「しじまの声」、すなわちエリヤその人の心の奥底に語りかける神ご自身の直接の言葉だったのです。

 このことが私たちに伝えようとしているのは、何でしょうか。それは、信仰が本当に起こるのは、外面の奇跡的な出来事を通してではなく、神の言葉に真実に聞き入り、それに従い喜んで神のみ心を行なおうとする人間自身の、まさにその心と人格においてである、ということです。つまり、神が本当に喜ばれるのは、神の言葉に聞き従い、神を愛するその人自身なのです。

続く