「節分」というのは、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことで、特に立春の前日の「節分」では、煎った大豆を邪気(鬼)のお祓いのために撒くという風習ができあがりました。それが後に、「鬼は外、福は内」という掛け声と共に、鬼に向かって豆を投げる形になったわけです。
戸山幼稚園の「悪い虫」の由来は、道教の「庚申(こうしん)信仰」と思われます。庚申の日や年を迎えて、その夜眠ると、体の中にいる「三巳の虫」が抜け出して天帝に宿主の罪悪を告げ、その寿命を縮めようとします。庚申信仰では、体の虫が外に出ないようにするのですが、戸山幼稚園の節分集会では、反対に追い出す、鬼に退治してもらうということになっているわけです。
キリスト教でも、聖書の中に「悪霊」や「サタン」の話が出てきます。これらも神がお造りになった存在なのですが、邪悪な思いを持ち、人間を罪へと誘う存在です。彼らは神さまに「人間を罪に落とし入れてみたいのですが」と持ちかけ、神さまは人間がそれに抵抗する力をもっていると信じておられたので、その誘惑と試練をお許しになられます(ヨブ記)。
すると、人間は罪の誘惑に会い、大きな試練に苦しむのですが、最後は神さまの救いの力をいただいて、立ち直ります。人間が罪の力に打ち勝つ力を与えれている証拠として、神さまがお示しくださったのが、イエス・キリストという存在です。イエスさまも悪霊を追い出してくださいました。キリスト教ではイエスさまが私たちが信じ従うべき理想の人間像なのです。
さて、こういうキリスト教信仰を土台にして考えると、戸山幼稚園の節分集会で、子どもたちなりに、自分の中の悪い虫を考えてみるというのは、とても大切な教育の機会ではないかと思わされます。子どもたちが、先生やみんなと一緒に、自分を振り返り、自分を知り、悪い虫さんにさよならして、どんな自分になりたいかを考えてみようとする。しかも、それを楽しく、でもまた鬼さんを目の前にして緊張感をもって経験する、というのは、子どもたちの霊的精神的成長のためにも貴重な教育的機会ではないかと、園長として、思わされている次第です。
これが、戸山幼稚園での節分集会のキリスト教的意味付けです。