マルコによる福音書1章29~39節

今日の説教箇所は11節にすぎないが、3つの話がひとつの缶詰のように凝縮されている。

一つ目は、シモンのしゅうとめを主イエスが癒す様子、二つ目は主イエスが朝早くにひとりで祈られる場面、三つ目は、神の国が近づいたことを宣べ伝えるために、カファルナウムにとどまらずガリラヤ中に弟子たちと出かけたときの様子である。

シモンのしゅうとめの癒し
まずその一つ目の聖書箇所は1章29節~34節。
冒頭に「すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った」とある。カファルナウムの会堂での安息日の集会が終った直後にそのまま、主イエスの一行は、シモンとアンデレの家に行った。
最初の弟子となったシモンと、アンデレの兄弟の家はカファルナウムにあり、シモンのしゅうとめが一緒に暮らしていた。シモンは、主イエスの弟子となった時、既に結婚していたのである。その妻の母、シモンのしゅうとめはこの時熱を出して寝ていた。「人々は早速、彼女のことをイエスに話した」と30節にある。そして、31節の「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」と描写される。
ここには、主イエスがシモンのしゅうとめの病気を癒したことが表されるが、一方、先月読んだ聖書箇所には、ある人に取りついていた汚れた霊、悪霊を主イエスが叱って追い出したことが語られていた。この同じ安息日の一日の間に、悪霊からの解放と、病からの解放という二つの癒しの業が行われたことになる。先の、汚れた霊にとりつかれた男の場合は、言葉の命令で癒したが、ここでは癒しは、無言での温かい行動によってなされた。
次に、癒された彼女が「一同をもてなした」と語られていることについてである。「もてなした」、と訳されている言葉は、継続する動作を表す動詞の未完了過去形で、補佐する行為を意味する言葉が使われる。「イエスと弟子たちに奉仕し続けた」、と訳すのが適切である。
アメリカと日本のある女性の神学者達の研究によると、この癒しの話は、元来は、イエスがシモンの妻の母を招き、その女が仕え続けた、イエスの宣教活動に参加した、「弟子の召命の話」として語られていた、という説を打ち出す。マルコはじめ福音書記者たちが、多くの癒しの物語と一緒に編集したことで、「弟子の召き」の印象が薄められ、さらに後の翻訳者たちが、女性だから、「食事をもてなした」と憶測して訳したことで、誤解が定着したと断じる。
とにかくこの聖書箇所からわかることは、主イエスは、シモンを家族から引き離して弟子にしたのではない。それをパウロの手紙は証言する。コリントの信徒への手紙Ⅰ9章5節に、シモンが妻を連れて伝道をしていることが語られる。
そして、シモンのしゅうとめのように「癒された人たちが今度は癒しの担い手になっていった」、そのような共同体がガリラヤの地で形成されていったとさきほどの女性の神学者達は説く。
悪霊や病気からの解放は、主イエスの教えを聞き、仕える者となることをもたらすのである。
マルコがここで描いている主イエスの姿の中心にあるのは、権威をもって神の国の到来を宣言し、福音を告げ知らせる姿である。そして癒しの業は、その福音を聞くことを妨げている力を主イエスが打ち破り、また福音を信じ、主に仕えて生きることができることを示すためになされる、宣教の一環の業である。私たちが悔い改めて福音を信じて新しく生きることを妨げようとする様々な力を主イエスが打ち破り、主イエスを信じ従う歩みへと解放する徴としてなされる。
32節「夕方になって日が沈むと」とは、安息日が終って次の日になったことを表す。ユダヤの暦においては、一日は日没から始まる。すると、「人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た」。なぜなら、安息日の間は病人を連れて来るような仕事をしてはならなかったから。33節には「町中の人が、戸口に集まった」と。主イエスは、34節「いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出」した。その癒しの業はおそらく夜遅くまで続いた。
ところで罪と病とは、結び付けて考えられがちである。旧約のみならず、新約においても、主イエスの行った病の癒しを、「罪の赦し」とみなす人が多い。旧約に流れる中心的な思想を一言で表すと、応報思想である。この世の苦しみは人間の罪に対する神の罰である、という考え方である。
主イエスの生きられた時代にもそのような見方が社会一般にひろまっていたことが聖書記事からうかがえる。しかし、主イエスはそのような因果応報的な見方には捉われず、苦しんでいる人びとを、ただ、救いが必要な人間として接し、深い憐れみをもって、彼らを癒し、悪霊から解放したのだ。

ひとりで神に祈る主イエス
二つ目の主イエスの姿はひとりで祈る主イエスについてである。日が沈んでから続々と訪れてきた病人や悪霊に取りつかれた人を癒す業はおそらく夜遅くまで続いた。しかし35節には「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」とある。
「祈っておられた」は原文では未完了過去形で、「イエスは朝早く、人里離れた所へ出かけていき、そこでひとりで祈ることを習慣としていた。」という訳が適当だろう。
福音を宣べ伝え、癒しを行う、その主イエスの業が、神への祈りに支えられていたことをマルコは伝えようとする。しかしそこにはさらにもう一つの理由がある。36節以下には、シモンとその仲間、つまり弟子たちが、まだ暗いうちに町を出て行かれた主イエスの後を追ってきたことが語られる。主イエスを見つけた彼らは「みんなが捜しています」と言った。その「みんな」とは、カファルナウムの町の人々のことである。彼らは夕べ、病気の人や悪霊に取りつかれている人たちを主イエスのもとに連れて来て、癒してもらった。
しかし夜遅くまで続いたその癒しの業によってもなお残ってしまった人たちが、今日こそは主イエスに癒していただきたいと願って待っている。ところが朝起きてみたら主イエスがいない。

福音の宣教-一番大切なこと
主イエスを捜しているのは病気の人や悪霊に取りつかれていた人だけではない。カファルナウムの町の人々は皆、このような癒しの業をする主イエスに、ずっとこの町に留まって欲しいと願っている。「みんなが捜しています」という言葉にはその思いが込められる。
しかし、38節「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」と主イエスは弟子たちに語る。
これが今日の聖書箇所の3つ目の話である。
主イエスが神から与えられている、神の国の福音を告げ知らせる使命に、主イエスは弟子たちを伴い、彼らと共にそれを果たそうとする。「レット・アス・ゴー」という、弟子への呼びかけの言葉によって。マルコにおけるこの主イエスの言葉は、弟子たちを福音の宣教の働きへと招く。
神の国の福音を宣べ伝える使命は主イエスにこそ与えられる。しかし主イエスはその宣教の働きに、弟子たちを伴おうとしている。
そしてそこに、先ほどの、マルコがここで主イエスが祈られたことを語ったもうひとつの理由が示されているのである。
主イエスの祈りは、ご自身の宣教と癒しの業のための祈りであるだけでなく、弟子たちのための祈りでもあったのだ。
主イエスは弟子たちを、宣教の旅に同行させ、主イエスが神の国の福音を告げ知らせ、それを妨げる悪霊を追い出し、病を癒す業を彼らに見せ、体験させることによって、将来全世界に出て行って福音を宣べ伝える備えをさせようとしている。
39節の「そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」というのは、主イエスご自身の働きだが、その傍らにはいつも弟子たちが共にいた。
そう語ることによってマルコは私たちに、「あなたがたも自分自身の姿をそこに見いだしていくことができるのだ」と教える。
ガリラヤ中の会堂で宣教し、悪霊を追い出された主イエスは、今も生きて働いている。世界中の町や村で、福音を宣べ伝えようとする。そしてその業に、私たち信仰者を伴おうとしている。

その私たちは、何かが出来るわけではない。主イエス・キリストは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と権威をもって宣言することのできる方である。そして、その福音を信じて生きることを妨げている力を打ち破り、そこから私たちを解放して、主に仕える者として下さることができる。
そして私たちのために祈り、ご自身の宣教の働きに伴って下さる。その主イエスのあとに随うことが私たちの信仰である。
一人一人は弱く小さな私たちだが、主イエスについて行くとき、すばらしい業を目の当たりにすることがきっとできる。主の宣教に参加し、担うものとなっていこう。