「本当のオンリーワン」 1からのつづき

 実はこの「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉が日本の教会の中から流行り出した言葉であったことを、皆さんはご存知でしょうか。SMAPが歌い出す二十年以上も前に、「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉はキリスト教の教会や学校でさかんに言われておりました。牧師でもあった男子聖学院高校校長の故林田秀彦先生がそのお話の中でこの言葉を強調されていたことを思い出します。その頃、日本中が、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォ―ゲル著、邦訳一九七九年)と、外国からもてはやされて、浮かれていたのです。そのような風潮の中で、林田先生は、キリスト教教育はナンバーワンよりもオンリーワンの価値を重んじます、と言っておられました。

 神さまは、良い羊飼いがオンリーワンの、たった一匹の羊でも大切にするように、私たちひとりびとりの人間の掛け替えのなさ、個性を大切にし、その存在を重んじて下さる そして、その重さの中心に、罪をもゆるして下さる神の愛への感謝がある、というのが、「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉のキリスト教的な意味なのです。

 もちろん、ナンバーワンになれる人はナンバーワンになっていいのです。もしかしてそのナンバーワンは神さまも望まれたナンバーワンであるかもしれません。けれども、そのときでもぜひ覚えておかねばならないのは、ナンバーワンの人も含めて、「ロンリーワン」であってはならないということです。「一人ぼっちの人」ということですね。仲間外れにされて、ひとり寂しくたたずむ人を作ってはいけません。反対に、自分ひとりわがまま勝手で、他の人々を顧みないという人を作り出してはいけません。人はもともと一人では生きていけないのです。

 ボンヘッファーというドイツ人神学者が、「孤独に耐えられない人は、他者との交わりにも入ることができない」と言いました。真に自立している人こそ、他の人々と愛の交わりを行なうことができる、ということでしょう。神さまが大切に育ててくださる本当のオンリーワンとは、「自主独立」の精神をしっかりもった人であると同時に、他の人々と手を取り合って生きることのできる「共生」の精神をもった者でもある、ということです。

 私たちも神さまの恵みを受けて、神と人とに喜ばれる「本当のオンリーワン」にならせていただきたいと思います。