「心の眼で見た言葉」 1からの続き
まず、次の話をお聞きください。

 「昔、二人の探検家がジャングルの中の開墾地を通りかかった。そこには花も植わっていたが、雑草も生えていた。一人が言うには、『誰か庭師がいて、手入
れをしているに違いない』。他の一人はこれに反対した。『いや、庭師などいやしない』。
 そこで、二人は、見張り小屋を作り、その土地の回りに電気の通じた鉄条網を張り、番犬まで用意して、庭師が来るかどうかを見張った。しかし、誰も来ない。
 一人が言った、『それでも庭師はいるんだよ。眼に見えないだけなんだ』。もう一人が言った、『眼に見えない庭師なんて、いないのと同じだ。君はおかしいよ』。」

 これはジョン・ウィズダムというケンブリッジ大学の哲学の教授が作った譬ですが、「心の眼」がどういうものかを教えてくれる面白い例え話です。これを何
気なく読むと、「見えない庭師を信じるなんて馬鹿らしい」と言う人のほうが正しそうだし、常識的で、そちらに味方したくなります。
 ちなみに、この譬で、花を植え、手入れをしている「庭師」ということで暗示されているのは、神の存在です。いや、私も、この話を聞いていて、そう思いま
した、と言う方もいらっしゃるかもしれません。さて、皆さんは、どうでしょうか。
(続く)