西谷幸介牧師
「しじまの声を聞く ~ 礼拝とは何か」 4 からの続き

 以上に引用しましたピカートの言葉はいささか哲学的な言い回しですが、要は、人間が聞くべき真実の言葉は「沈黙」の中から生まれてくる、十分に深められた沈黙と集中の中で初めて真理の言葉は聞かれる、ということです。騒々しい雰囲気の中では、あるいは内心が乱れたままでは、たとえ真実、真理の言葉が語られたとしても、それは正しく私たちの心には響いてはこない、深くは理解されない、ということではないでしょうか。

 そして、キリスト教の礼拝の大切な中心の一つが、神の言葉を聞く、という行為です。ですから、沈黙、静寂という環境がきわめて重要なのです。とくにその始めに「沈黙」は大切なのです。静かにするのは、相手の言葉に耳を傾けるためです。ですから、このことは、礼拝で説教に耳を傾ける際のみならず、私たちが日常会話の中で相手の言葉を聴く際に、当てはまることでもあります。

 さらに礼拝についてお話を続けますが、黙祷の姿勢を取るのは前奏の時間からです。でも、そこでは「奏楽」が鳴り響いています。音楽が演奏されています。これでは本当の沈黙ではないではないか、という疑問をもたれる方があるかも知れません。そこで次に私たちが弁えるべきは、礼拝の中で奏楽が行なわれていることの意味だということになります。じつはピカートは沈黙と音楽の関係についても語っています。

続く