「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。

新約聖書 < ヘブライ書 11章1~3節 >

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」。

新約聖書 < エフェソ書 1章17~18節 >

 画竜点睛を欠く、という諺があります。昔中国の立派な絵描きが素晴らしい竜の絵を描いたが何かが足りない。眼が無いことに気づいて描き入れたら、竜はたちまち生きた竜となって天に昇った、という話です。物事にはもっとも重要な一点が欠かせないという教えです。

宗教を理解する場合に大切なことも、じつは、皆さんに「心の眼」が入ることです。これからお話ししたいのはそのことです。

「心の眼」をもつ人間とは成熟した人間のことです。そういう人は宗教というものを、したがってまたキリスト教というものも、よく理解しうる人であるはずです。「心の眼」をもつと宗教の言葉、キリスト教で言えば『聖書』の言葉がよくわかるようになります。というのは、『聖書』にしるされている言葉は「心の眼」をもって現実を描き出し、真理を語った言葉だからです。
(心の眼で見た言葉」1に続く)