「裁く方は主である」 6からの続き

 ある時、東京神学大学の関川寛先生が大学生のための伝道礼拝で、ご自身の牧会活動の中で出会われた何人かの方々について、とても印象深いお話をなさいました。そのうちの一つが、以下に紹介するある老婦人のお話でした。このご婦人は先生に面談を申し出られ、16 歳の時の娘さんの写真を見せながら、こういう話をなさったとのことです。すなわち、自分はもう 40 年ほど前、その写真を撮った直後に、この娘を亡くしてしまった。そして、それ以来、彼女の死を自分の罪のように思い、その思いに苛まれたのだが、その中で、福音による「罪の赦し」の教えに触れることができた。そして、その重荷から解放され、今まで生きてくることができました、と語られたというお話です。娘さんを亡くした後、ダンスの練習や、運転免許の取得や、あるいは他の楽しみ事に耽ることによってその苦しみから逃れようと努めたけれども、けっきょくそれはできなかった。本当に自分が救われたのは、罪の赦しの福音によってでした、と言われたのでした。

 自分よりも先に子供を亡くしてしまう親の苦しみは、よく触れられる話ですが、それは経験した方以外には理解できないほどのものでしょう。私はこの話を聞いた後、戦場で戦友を亡くして復員してきた方々が、忸怩たる思いからなかなか解放されずに思い悩まれる、という話を思い起こしました。つまり、自分だけ生き残って帰ってきたことへの、何とも言わく言い難しの思いがある、という話です。あるとき、NHK の「兵士たちの戦争」という深夜の特集番組で、特攻機の不具合で止む無く帰還し、戦死せずに復員したのだが、自分が特攻であったことはその後 30 年間誰にも言わなかった、と話しておられる、元特攻兵の方がおられました。それを言ったら、「国賊」「非国民」呼ばわりされて家族にも迷惑をかけるから、けっして言わなかった、ということでした。両親も自分が特攻兵であったということを知らずに死んでいきましたと、悔し涙でもあったと思いますが、目にいっぱい涙をためておられました。そして、毎朝、起床するとすぐに外に出て、戦死した戦友たちへの慰霊として、四方に拝礼していると言っておられました。

 死者をめぐる生き残った者たちの複雑な負い目の思い。これは日本人にのみ特有とは思いませんが、しかし、とりわけ日本人にはある意味で顕著だということもできるのではないかと、私は考えております。

「裁く方は主である」 8 へ続く