「裁く方は主である」 1 からの続き

 ところで、話題はガラリと変わりますが、まず元プロ野球選手、また名監督とうたわれた野村克也氏の話をさせて頂きます。野村氏は南海ホークスの名キャッチャーとして鳴らした人で、長嶋氏や王氏がいなければ、バッターとしても数々の日本一の記録保持者になっていたはずのプレイヤーでした。「捕手」というくらいですから、ピッチャーの投球をどう捕球するか、またどうリードするか、という技術も重視しておられたわけで、ヤクルト・スワローズの監督時代、古田敦也捕手をその点でも育て上げたことで有名です。しかし、そうなるまでには多くの苦労と失敗を経験されたようです。

 この話は、野球に余り興味のない、とくに女性の方々にはわかりにくいようですので、野球で審判が「ストライク」とコールするのは、あの白いホームベース上を ーその端をかすってでもー 通過し、しかも高さは打者の脇下と膝上の間を通過した投球だけです、とまずお断りしておきましょう。あとはみな、「ボール」です。

 昭和36年、1961年、私が小学5年生の秋、この年の日本シリーズは、この南海ホークスがパリーグの覇者、読売ジャイアンツがセリーグの覇者として、激突致しました。私の父親が田舎としては珍しく早くに月給の何倍もするテレビを ー月賦でですがー 購入しておりまして、私は既に長嶋大好きの巨人ファンとなっておりました。その試合は、たしか南海の2勝1敗で迎えた第4戦で、シリーズの行方を決める大切な試合でした。今でもその白黒の画面をよく覚えておりますが、9回表に南海が3対2と逆転しまして、9回裏の巨人の攻撃は2アウト満塁、しかもカウントは2ストライク1ボールでした。1本ヒットが出ようものなら、4対3で巨人のサヨナラ勝ち、或いは最悪でも3対3の同点、しかし三振なら3アウトで試合終了、南海の勝ちで、シリーズにも王手!という場面です。

 巨人のバッターはハワイ出身の日系二世のアメリカ人宮本、南海のピッチャーはこれもアメリカ人の大男スタンカで、この試合も好投しておりました。さて、カウント、ツーワンで、スタンカが捕手野村のミットめがけて外角低めの豪球を投げおろします。すごい球だ、ストライク!と子供心にも思い、巨人ファンとしては万事休す!と観念したところでした。

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