「心の眼で見た言葉」 2からの続き
 ところで、昔ながらの哲学者たちが普通の人にとっては難解で意味不明な言葉や術語を使うことにたいして抗議をした二〇世紀前半の哲学者に、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインという、イギリスで活躍したオーストリア人がおりました。彼の口癖は、「およそ言われうることは明瞭に言われうる」、「言い表わすことのできないことについて人は黙っていなければならない」、ということでした。

 たしかに哲学者たちの用いる言葉には難しいものがたくさんあります。それは哲学だけに限りません。キリスト教の神学の術語にも、よほどわかりやすく説明してもら
わないと、理解できないものがやはりあります。日本の有名な哲学者に西田幾太郎という人がいて、この人が特別に創り出した言葉に「絶対矛盾の自己同一」というのがありますが、「絶対」ということもわかりますし、「矛盾」ということも「自己」も「同一」もわかりますが、「絶対矛盾の自己同一」と言われると何が何だかわからなくなります。キリスト教の神学でも「三位一体の神」とか「神とイエス・キリストは同質である」と言いますが、そう言われても普通の人にはすぐには理解できません。そこで、ヴィトゲンシュタインは、そういう判じ物のような言葉遣いに反対したのでした。
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